シアトル発:毎日を自分らしく

シアトルに住む私と愛犬(そしてパートナー)。ビーガン料理で心と体をデトックス。日々に見られる美しいもの、心にピンときたこと、たまには妙なハプニングもあり。

私、エリトリア人姉妹の家庭教師

実は、ここ2ヶ月くらい、エリトリアというアフリカ東部、紅海に面する小さな国から移住してきたエリトリア人姉妹の家庭教師を週一でしている。16歳と14歳。


これは、わたしが支援するIRC (International Rescue Committee) のつながりで紹介されボランティア活動。エリトリアといえば、比較的最近(といっても90年代初頭)エチオピアから独立した小国で、あまり聞き馴染みのない国だ。ちょっとウィキで記事を読んだくらいでわたしもあまり知らないが、治安は比較的いいものの、独裁主義的な国らしい。この地域(エチオピア/エリトリア)からきている食べ物にインジェラ(injera)というものがある。シアトルにはエチオピア料理店がいくつもあり、わたしもよく食べてて結構好物。サワーなクレープみたいなスポンジ生地にいろいろな具 (ワット)を直にのせて手でつまんで食べるもの。ワットはシチューっぽい豆を煮たものから、野菜炒めのもなど、様々あってわりとヘルシー。見た目も楽しいし、みんなでわいわい、話も弾む、そんな食べ物。


インジェラとは、こんな食べ物。


インジェラのことはさておき、この姉妹というのが全く違っていて面白い。この家族はアメリカに移民してきて1年弱。父親は本国では結構知的な仕事をしていたのだと思う。というのは、英語に制限はあるものの、キチンと筋のとおった話をするからだ。アメリカに移民してきてからは、トラックの運転手をしながら、その上パートタイムでウバーの運転手もしている。奥さんと16歳、14歳、そしてまだ数ヶ月の3人娘たちを養っている。


シアトルの空港からタクシーやウバーに乗れば、大多数のドライバーは移民であるといってよい。そのなかにも、一目でインテリっぽいと思わせる運転手もいて、「祖国では何をしていたのですか」という話になると、エンジニアだの、医者だのというケースもたまにある。自国でエリートでもアメリカにきたら、1からやり直しなのだ。自国の免許とか資格がアメリカで認識されなければしょうがない。それでもアメリカに移りたいと、全てを犠牲にして移民してくる。アメリカにたどり着くまでかなりの審査があり、10年くらいかかることもあるそうだ。


トランプ政権になってから移民枠もどんどん狭まり、ますます目立つアメリカ一般人の思わしくない下品な行動や、右派国粋政治と不安定な社会状況であっても、やはりアメリカという国は、多々民族たちの憧れの場所であり、みんな来たいのだな、と実感する。ここは誰もが新しい人生を歩みにくるところなんだ。留学して結局居座ってしまったわたしのように甘っちょろい意識て来ているのではない。移民してきて、アメリカから微々たる支援を移民してきたばかりの時に受けたとしても、移民するまでにかかった借りたお金は全て返済しなければならない。アメリカの税金に依存しているわけではない。こういったhとたちを怠けているアメリカ人と一緒にしてはかわいそうだ。こういう人たちを「出て行け」とか「俺たちの税金を食い尽くしていやがる」なんていっている愚かなアメリカ人はそういうことをいう前に事実を学べと言いたい。彼らは、移民たちが通過してきているプロセスをまったくわかっていない。


話はもどるが、二人の娘たちと初めて面談したとき、この二人の英語の能力が違いすぎてまず、びっくりした。下の子(14歳)は、英語で少々たどたどしいところはあるにせよ、かなりわかるようだ。多分、普通に地元の学生と同じクラス勉強している様子。しかし、上の子(16歳)は英語がほぼ喋れない。一年近くいるのに英語の単語もうまく発音できない。そのことに戸惑っているわたしをみて、父親はこういった。「下の子が英語を話せるのは、都会の学校に行っていたからです。上の子は村落の学校へ行っていました。その差がでているんです。」


村の学校ってどんなのだろうか、想像がつかない。土の上に直に座って、木板にチョークで字を書かせるようなところなのだろうか。上の子の英語のアセスメントテストをしてみたら、こちらでいう小学校1年生の英語レベルだと判断。16歳でこれではヤバかもしれない。


よく中華街のスーパーやレストランで一言も英語を話せない人たちに出くわす。彼らは何十年もアメリカにいても英語を話せない、というか話そうとしない。中国人だけといるならそれでも生きていける。この上の子もエチオピアスーパーやレストランで働くのだったら英語は話さなくてもいける、とも思う。でも、やはり社会で進出して、ある程度の自信と生活レベルをエンジョイしてもらいたい。それには英語の習得は絶対である。とにかく、私といる時間は英語の本を一緒に読んで、発音を直しながら内容解釈の問題をさせ、たくさん会話をする。とにかく続けよう。そうすれば、どうにもこうにも英語は上達するはずだ。いままで日本人やアメリカ人学生の家庭教師をしたことはあるが、こういうのは初めてだ。わかっているのかわかってないかはさておき、勉強中の彼女は笑みをこぼしながらそれは楽しそうにしている。それに一生懸命答えようとしているので、わたしはその意欲を見せてくれるだけで嬉しくなる。


一方、妹の勉強はわたしもおちおちしていられない。
毎回授業の課題を持ってくる。しかも内容はアメリカ独立戦争や権利章典など、内容は結構むずかしい。わたしも初心にかえって一緒に本を読む。そして200年以上も昔に作られた法律がなぜ今だに、ほぼ変わらずに使われているのだ、とか、どこが矛盾しているかだ、とか、あなただったら、権利章典のどこを現代的に改正するか、だとか、なかなk奥深いディスカッションしなければならない。これは独断と偏見で答えればいいのだが、ついつい今のトランプ政権がおかしいかというところに発展してしまう。相手は14歳の子供なんだから、それを抑えながら歴史の事実に重点をおかねば、と我に帰る。
あっという間にに時間が過ぎる。そして、わたしは非常に満足して家路につく。


この家庭教師の時間は二人の少女にとってプラスになっているかどうかはさておき、わたしにとってかなり自己満足で楽しい時間なのだ。


はなしは食べ物にもどる。
今日はなんと、二人の娘たちのお母さん(といってもわたしより若い)がわたしにインジェラをだしてくれた。なんと美味しかったことだろう。わたしは以前、自分でインジェラを作ろうとおもって粉を発酵させて作ってみたが全然うまくいかなかった。それっきり諦めて外でたべていた。


「ああ、この家族との距離感が近づいてきた」と思い嬉しくなった。
帰りぎはには、もっと持っていきなさい、とお土産ももらう。


さて、次回もがんばろう。