シアトル発:毎日を自分らしく

シアトルに住む私と愛犬(そしてパートナー)。ビーガン料理で心と体をデトックス。日々に見られる美しいもの、心にピンときたこと、たまには妙なハプニングもあり。

シアトル発。今回こそはブログ日記を続ける。

今まで一度だけブログを書いたことがある。それも一回きり。なんという飽きの早さだったこどだろう。それを始めようとしたきっかけが、そもそも遠く離れた日本に住んでいる母に自分が米国シアトルでどんな生活をしているかをお見せようと思ったからだった。でもインターネットに遅れをとった母にはちょっと厳しいところだった。年配にソーシャルメディアなんかをさせて変な詐欺にひっかかったりしたら大変。なので、彼女との近況報告はスカイプでの電話か携帯へのテキストが主である。携帯テキストでの私の文面が長すぎて母が途中で読むのやめている様子もけっこう伺える。ちぐはぐの返答がまた面白い。


たまには、実際に手で字を書いてお手紙なども出す。母はアナログ嗜好である。手紙を出すと母も縦書き便箋でちゃんと返事を送ってくる。手紙では、ちぐはぐ応答はない。でも書いてある内容はいつも同じ。それで安心。


私には昭和的な手作業がなかなかノスタルジックで楽しい。実家にその手紙やハガキがシアトルから山梨県甲府までに着くのに何日かかっているだろうか。何人の郵便局員の手をつたっていくのだろうか。それらを考えると楽しい。


以前はフェースブックで日常の様子を親戚友人に伝えていたが、わたし自身、そういうソーシャルメディアでの投稿は控えるようになった。それは、コネクトの「輪」がどんどん広がっていくし、それを継続更新していくのが面倒なのである。それに、自分がポストした意見や旅行等の画像がひょっとして相手を不愉快にしているんじゃないか、とか、余計な心配をしながら、だんだんポストするのも億劫になってきた。でも自分の生活は記録としてとっておきたい。いや、でも自分の情報が宣伝やマーケティングに利用されているとか、心配はつきない。実際ハッキングもされているし、信用できないのは確かである。


結果、単純明解、自己満足の世界感で気ままにブログを書こう、と思った。それを読んでくれて面白い、つまらない、人それぞれあるだろうが、気にせず思ったことを書いていきたい。この「書く」という作業は自分が成長していく過程での「我に帰る」とても大切なことなのだ。


私は、今年で50歳になる。
大学卒業後の90年代半ば、アメリカ北西海岸にあるシアトルという街に引っ越してきて、いっぱい働いてきた。そのほとんどは IT 企業だった。この業界、どんどんテクノロジーが変わっていくから、その目まぐるしい変化と情報についていくのが大変。自分は普通の頭脳の持ち主である。周りには「この人、なんて頭いいのー。」と、思う人が多い。私は無理に頑張る気力と頭力がもう薄れてきていた。それでもいいのだ、と自分を甘やかせられる自分になってきた気がする。でも、そういうことをしない同年代連中に会うと、「やっぱ自己劣化させている自分は悪い」と思い返したりもする。


去年の終わりに仕事での節目があり、仕事を去ることにした。しばらく休憩しようと。
また、なんかの縁で何かが転がり込んで来ればその時に考えよう。アラフィーはそんな風に思えるお年頃。実は、このことは両親家族には言っていない。仕事辞めたからといって、彼らに何かをしてもらいたいということもないし、日本人独特の「心配」をしてもらいたくもない。だからこの間のお正月は、普通に日本へ帰ったし、家族旅行にも行って楽しいひと時をすごした。仕事のことは言わない。それでいい。私は私で考える。


この半生、いろんな人と出会ったけれど、ほとんどの人は人生から消えていく。人生とはおもしろいもので、歳をとっていくたびに自分にとって大事な人、意味のあるものが自然に残っていく。そうでないものはどんどん捨てられていく。だからその「捨てる」をあまりしないように、ものは増やさないようにしよう、と思う。そして交友関係も若い時みたいに「数」で勝負でなく、「質」での勝負で行きたい。それがいい。


私自身の家族について。
私には16年連れ添っているパートナーがいる。
最近、お互いの持ち家のこと、資産のこととかを検討してみて、どちらかが突然死し、政府からの税金搾取介入があった場合、どうすれば残された方は全部もって逃れられるか、と考えてみて、一番いいのが結婚するということになった。非常に合理的。その「政府の税金搾取介入」のことがなければ、ずっと一緒に住んでいる道を選んでいたかもしれない。でも仕事を辞めた私にとって彼の健康保険に入れるというのは非常に助かる。こちらアメリカでは、健康保険がなくて病気や怪我でもしたら大変なことになる。アメリカには国民保険とか、そういう恩恵溢れた制度はないのだ。


いずれにせよ、こんなに長い年月、一緒に住んでいらいる相手同士なわけだし、「まあ、いいでしょう、多分この選択は間違っていない」ということで私たちは納得合意。


もともと、ことの始まりは17年前。
離婚して地元シアトルに戻ってきたこの人と私は共通の友達を通して知り合った。飼い主のいない「犬っころ」のように私の家に来るようになって、気付いていたら住んでいた。これには、話題の映画「パリサイト」的なダーク要素は全くない。力仕事は進んでやってくれるし、家のこともこまめにやってくれる。清潔できれい好きだから一緒にいて気持ち悪くない。楽しいイベントにも一緒に行ってくれる。彼の家族の食事会にも招かれ行くようになる。性格的にも合う。プログレッシブで知的だし、話をしてても楽しい。だから、どんどん一緒に過ごす時間が多くなっていき、知らない間にうちの人になっていた。私の飼い犬二匹もすっかり懐いてしまい、いるのが当たり前になっていく。もうこの人は私の犬子供たちのお父さんになっていた。結局友達居候期間の後、自分にとっていい相手と実感し、一緒になることになった、いわば自然現象。


人間、2人で一緒に住んでいれば、いろいろ衝突はする。でも全体的にみて、一番自分の性格や性質に合っていて、信頼もでき、無理しないで一緒に生活できる相手はこの人だ、納得しながら毎日を過ごす。


長くなってしまった。これから家のことをしなければならない。犬の散歩もしなければ。なんてったって私就業していないのだから。


最後のこの子うちの子。ワイマラナー犬種のメープルという名の2歳児。
とにかくおもしろい、ヒューモアに富んだ性格。
この「IT」に出てくる怖い殺人ピエロ、ペニーワイズのような微笑み。
怖い顔で初めて見る人はびっくりするけれど、実はこれ、彼女にとって最高に嬉しい時にする「喜びの顔」なのである。